江戸吉原グルメガイド 最大の歓楽街吉原は、観光地でもあり”グルメ天国”でもあった!
はじめての吉原ガイドブック
■妓楼が出す食事は質素だが、一般庶民よりは贅沢な食事
妓楼の客が料理を注文することも多かった。
その代表が、台屋から取り寄せる台の物(だいのもの)である。
松や鶴などの縁起物を飾り付けた豪華な料理で、値段も高かった。ただし、味はさほどではなかったようだ。宴席を盛り上げるための、一種の演出と言えようか。
台屋には、遊女が総菜を頼むことも多かった。
というのは、妓楼が出す食事は質素だったからだ。そのため、客からもらった祝儀がある花魁(おいらん)などは、妓楼の食事には見向きもせず、いわば総菜の出前を取るという贅沢をした。
吉原には鰻屋もあったので、客が蒲焼を取り寄せることも多かった。なにより、鰻は精力剤と考えられていたからである。
客が若い者に、
「鰻を頼んでくんねえ」
と、金を渡す。
もちろん、若い者の祝儀も含んだ金額だった。
そのほか、寿司や、ゆで卵などの行商人も吉原の中を、くまなくまわっていた。
「鯛のすう、こはだのすう」
「たまぁご、たまぁご」
などという呼び声を耳にするや、花魁が禿を走らせることもあった。
いわゆる買い食いである。
使いをした禿も、お相伴にあずかったに違いない。

【図4】行商の夜鷹蕎麦。『吉原十二時絵巻』(文久元年/(1861)、国会図書館蔵
【図4】は、深夜の光景である。妓楼の張見世の前を、夜鷹蕎麦が呼び声をあげながら歩いている。
客の男が声を聞きつけ、遊女に言う。
「おい、蕎麦を食わねえか」
そして、寝床で、遊女とふたり蕎麦をすすることもあったであろう。
吉原の住人と吉原にやってきた客は、食に関しては江戸市中の庶民にくらべ、はるかに贅沢だったと言えよう。